真っ直ぐに伸びていく左のレール
右側のレールは、画面奥右手から入ってきて
途中で奇妙な形に分岐している
このレールの行き先は?
↑ JR中央線 名古屋~金山間を橋上から撮影
架線を写し込まないようにするのはなかなか難しい。
「白糸の滝」と呼ばれる滝は、
北は北海道から南は九州熊本、大分まで何箇所かある。
が、その中でも、
静岡県富士宮市北部の湧水を源流とする芝川の支川にある「白糸の滝」は
日本滝百選にも選ばれ、世界文化遺産にも登録されている見事な滝である。
落差は約20mだが横幅は150mほどもあり、
全容をカメラに収めるのが難しいほどである。
この辺りは鎌倉に幕府を開いた源頼朝の狩り場だったそうで、
曽我兄弟の敵討ちも、
源頼朝一行が狩りに来た後の宴会宿泊地が舞台となっている。
音止の滝を過ぎて
道を鋭角に右に曲がり
坂を降りていくと橋がある。
橋を渡り右に曲がれば白糸の滝。
左に曲がり、かなり急な坂を登っていくと
白糸自然公園にたどり着く。
白糸自然公園には大きな駐車場があるので
車をここに停めて、白糸の滝まで歩いて下りて行く手もありそうだ。
公園への戻りの急坂は大変だが・・・
白糸自然公園は、遊具もある広い公園なので多くの家族連れがお弁当を用意して遊びに来ていた。
菜の花畑の向こうに見える富士山もきれいだ。
この時期に菜の花を見ることが出来るのは、かなり珍しいことではないか。
白糸自然公園から急な坂道を下りていき、白糸の滝に戻る。
外国人の方の数が多い。
しかも、派手な服装をしているのが外国人で
地味な(落ち着いた?)色や形の服装をしているのが日本人
という感じがする
白糸の滝を上から見たら虹が見えた
「こいつぁ春から縁起がいいわぇ!」
滝の上に
富士山の湧水で出来た小さな池がある。
知られたくないかのように、ひっそりと佇んでいる。
池の水の色は透き通った神秘的な青色
源頼朝が
この池の水を鏡にして
乱れた鬢の毛を直したことから
「お鬢水(おびんみず)」と呼ばれるようになったとある。
当たり前のように乗っているが
架線が無いのに電車が走る・・・不思議
小さいカーブで右に曲がるレールの行き先はどちら?
併せて、12000アクセスを達成しました。
ご支援ありがとうございます。
今回は11000アクセス達成から一か月以上を要しました。
記事内容と掲載画像に努力が不足していたと反省しております。
叱咤激励をよろしくお願いします。
(注)
トンネルの高さを確保するのが大変な都市部の地下鉄の
幾つかの路線では、
架線ではなく、第三軌条という地面に設けられたレールに通電し
電車はパンタグラフではなく集電靴から電気を採る方式が採用されている
横浜のブルーライン等々
この写真では、レールの右側にあるもう一本のレールが
第三軌条である。
誠に運がよく
この日の午前中、富士山の周辺の天気は快晴だった。
富士山の西側に位置する国道139号線「富士宮道路」を20kmほど北上すると
白糸の滝駐車場に到着する
午前10時半頃には
駐車場は既に満車状態だったが、
民間の駐車場にはまだ空きがあった。
ここには、芝川支流にある「白糸の滝」と芝川にある「音止めの滝」の二つの滝がある。
更には、見逃しがちだが「お鬢水」という小さな湧水の池もある。
先ずは、「音止めの滝」に向かう。
↑ 「音止めの滝」の上流側から撮影
↑ 「音止めの滝」を横から撮影
「音止めの滝」の名前は、
日本三大敵討ちの一つである「曽我兄弟の敵討ち」に由来する。
建久四年(1193年)5月28日に
曽我兄弟が敵討ちを実行する直前に
「曽我の隠れ岩」に隠れて密談をしていたが滝の轟音で声が聞こえにくく、
「静かにならぬか」と念じたら滝の音が消えたということから
「音止めの滝」と呼ばれるようになったという。
なお、
快晴の富士山で出会うことが出来て、思わず
「こいつぁ春から縁起がいいわぇ」という表題をつけてしまったが、
実は、使い方とシチュエーションが少々間違っている。
歌舞伎に精通された方からは「何を今さら!」と言われそうだが、
実は、そのシチュエーションは
『三人吉三廓初買(さんにん きちさ くるわの はつがい)』という有名な歌舞伎の演目で
中心人物の一人である盗賊の「お嬢吉三」が、
夜鷹(街娼)を川に突き落として奪った中身が百両もの大金であることを知った時に
発した口上である。
「ほんに今夜は 節分か
西の海より 川の中
落ちた夜鷹は 厄落とし
豆だくさんに 一文の
銭と違って 金包み
こいつぁ春から 縁起がいいわえ」
名古屋にも蕎麦屋の名店は幾つもあるが、
今池の北にある「千種豊月」も有数の名店だ。
久し振りに、昼時に訪れてみた。
蕎麦は、白くて細い「更科蕎麦」
そして、かき揚げ天婦羅がまことに美味い。
天せいろと幾つかのツマミを注文して、
せいろを後回しにしてもらう。
ツマミは、板わさ、タコワサビ、焼きのり等。
酒はやはり日本酒がマッチする。
季節を問わず、常温か緩燗がいい。
そこそこ飲んだところで、
せいろをお願いする。
せいろは、小食の方でも3枚は食べられる。
この後の予定があったので
残念ながら、この日はアルコールは抜き。
かき揚げではなく海老天にして
せいろも2枚にしてみた。
せいろは3枚にすべきだったと思うほど美味かった。
次の予定まで少々時間があったので、
この後、近くの千種公園を散策。
先般、満開の桜と歴史的建造物の尖塔の画像を掲載した。
今日は、夕刻から日没そしてライトアップされた「松重閘門」の画像を紹介します。
↑ 堀川の左岸から撮影
↑ 閘室部から中川運河方向を撮影
3枚目の画像は
「以前、ヨーロッパに行った時の写真が出てきたので『水のある風景』と題して掲載します」
と、言っても通じるのではないかと思うくらいの眺めである。
最初の画像は
背景に名古屋高速道路が映りこんでいるのが残念。
↑ 夕暮れ時の松重閘門
名古屋には、
江戸時代の初頭、名古屋城築城時に大活躍し、
その後も名古屋の発展に寄与した「堀川」と
1932年に完成した中川運河という二つの運河が存在する。
堀川は、熱田神宮近くの旧東海道「七里の渡し(宮の渡し)」から名古屋城の西側まで通じており
中川運河は名古屋港から名古屋駅近くの「ささしまライブ」付近まで通じている。
以前は、堀川と中川運河は船で行き来することが出来た。
水位が1mほど異なる堀川と中川運河の間の船舶通行を可能にするため、
二つの河川の近接部に2つのゲート(閘門)に区切られた閘室を設け
船が行き来できるようにしていた。
規模ははるかに小さいが、パナマ運河と同じ方式である。
松重閘門の工事は1930年(昭和5年)に着工し
その後、輸送手段が道路による輸送に移行してきたため
1968年(昭和43年)に閘門は閉鎖され
1976年(昭和51年)には撤去された。
しかしながら、尖塔部は住民からの強い要望により存続することになった。
新幹線で東京方面から名古屋に向かい
名古屋到着の少し前に、進行方向右手を見ると
その美しい姿を見ることが出来る。
【近くのスーパー銭湯】
上の地図の中央左、
松重閘門の左方向に「山王温泉喜多の湯」というスーパー銭湯がある。
湯船の種類が多く、休憩所の設備と広さも豊かで、
アクセスも名鉄名古屋駅と金山駅の間にある山王駅から徒歩5分ほどと便利なので、
ときどきお世話になっている。
有料駐車場が併設されていて、
60分平日300円、土日祝日400円と設定されている。(2019年4月1日現在)
「喜多の湯」の利用者は6時間分の駐車場金代が無料になる。
「喜多の湯」の料金は、平日650円、土日祝日750円。
岩盤浴は別料金で前日600円。 (2019年4月1日現在)
浴槽の種類が多く、露天風呂だけでも炭酸風呂、壺風呂、ジェット風呂寝湯等があり広々としている。
ブランケットとリクライニングチェアが用意された無料休憩所も広々していて、
非常に人気のあるスーパー銭湯である。
時間によってはかなり混みあう点がマイナスだが、
これも人気ゆえのことなのである程度は仕方ない。
今回、撮影にあたっては、
「喜多の湯」の駐車場に車をとめ
松重閘門まで徒歩で出向き撮影をしたのち、
のんびりと湯につかり冷えた身体を暖めるという贅沢を味わった。
そして 陽が落ちて、松重閘門の尖塔にライトがあてられた。
おはようございます。
このところの忙しさで
撮影も記事掲載も滞りがちですが、
なんとか時間を作って継続していきますので
ご支援のほどよろしくお願いします。
さて、
季節外れの暖かさと寒さに翻弄され
例年よりは花見の時期が長かった桜も
葉桜へと変わってきた。
以前は、名古屋の「堀川」と「中川運河」という二つの運河は
二つの運河は水位が異なるため
水位調節をする二つのゲートで仕切られた閘室が設けられていた。
現在は、閘室は埋め立てられゲートの開閉に使用された尖塔だけが
残されている。
(4月第一週頃の松重閘門尖塔を彩る桜)
「東洋のパナマ運河」と称するには規模が小さすぎる感もあるが、
パナマ運河と同じ方式のゲートは、日本では松重閘門だけだ。
次回の記事では
ライトアップされた尖塔の画像とともに
松重閘門を詳しく紹介します。