本日の記事のメインテーマは
「奥多摩工業曳鉄線」と「奥多摩工業氷川工場」
国土地理院の地図に「奥多摩工業曳鉄線」という記載があります
殆どがトンネルのようですが
地上に出ている部分や谷を渡る橋梁部分もあります
それを目にするとまるで「ターミネーター」系の映画の一場面のようです
片側は砕石を積んだ貨物車
もう片方は空の貨物車
静かに、思い出したように無人で動いています
JR青梅線の終点「奥多摩駅」の周辺で
管理人にとって最も目をひいたのは
奥多摩工業の工場と
山奥で静かに無人で動く曳索鉄道の貨車でした
このような山間の景色に現れる錆が目立つ工場
冒頭に掲載した曳索鉄道を目にすることが出来る場所は下の地図の破線の先にあります
奥多摩工業の工場の中を通る未舗装の公道を進んでいきます
グーグルマップでも
奥多摩駅から現地までの経路は上の地図の地点までしか記載されていません
この先の公道の前後左右の様子は・・・
工場の間を抜けるといきなり山道に入り込みます
ここに至るまでの道の途中で
スクーターに乗った奥多摩工業関連の方に呼び止められました
完全に不審者扱いですね
目的を説明しましたが
「こちら側は工場敷地ですので入らないで下さい。曳索鉄道が見えるような場所は知らない。
それよりこの辺り猿が出没するので、どのときは絶対に目を合わせないように。」
というアドバイスをもらいました
確かに猿や鹿が出てきそうな景色ですね
しかしここも東京都です
しばらく進むと左手に曳索鉄道が見えてきました
「曳索鉄道」という聞きなれぬ用語を目にして調べていたところ
奥多摩工業で社長をされていた山田胖さんが昭和33年に発表された論文を見つけました
chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.jstage.jst.go.jp/article/shigentosozai1953/74/842/74_842_461/_pdf
昭和2年頃に石灰石の埋蔵量2億tの日原鉱床が発見されたこと
当時の青梅鉄道の終点は「御岳駅」だったこと
それにより「御岳駅」から「氷川駅(現奥多摩駅)」まで線路鉄道の延長と
採掘場から氷川駅までの運搬方法が運搬方法を検討したこと
が説明されています
運鉱帯(ベルトコンベア)、小型機関車による狭軌鉄道(軽便)そして曳索鉄道(エンドレス)を比較検討した結果
5024mの曳索鉄道形式を採用したそうです
一本のエンドレスロープで繋がれた多数の貨車による運搬方法というイメージでしょうか
最後に
「製造課」の名前で書かれた看板の字が読めませんでした