今年最初の紅葉≪#1≫ 立山室堂(標高2432.6m)  ― ひたすら室堂へ ―

新型コロナウイルス陽性者数が激減し

#「緊急事態宣言が解除」された10月。

 

今年最初の紅葉を求め、#「立山室堂」に行ってきました。

太平洋側の愛知県から東海北陸道を使って日本海側の富山県に行き、そこから一気に標高2400mまでのぼります。

名古屋からは、往復で630km、片道5時間半の旅になります。

 

台風16号の影響による天候悪化を心配をしましたが、

室堂滞在の間は風も穏やかで晴天に恵まれ

立山雄大な景色を満喫することが出来ました。

 

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東海北陸自動車道の「城瑞(じょうはた)PA」で小休止します。

立山室堂への大きな案内図がありました。

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東海北陸自動車道から小谷部砺波JCT北陸自動車道に乗換え

立山ICで高速道路を下ります。

 

立山ICの標高は32.8m。

ここから一気に標高2432.6mの室堂まで2400mを登ります。

 

車窓からの写真です。

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雲が下りてきました。

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高地の景色に変わってきました。

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#「室堂」到着です。

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2021年最初の紅葉≪#0≫ 立山室堂(標高2434.6m)の秋景色 ― 今日の1枚 ―

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 新型コロナウイルス感染緊急事態宣言が解除された10月初めの週末、今年最初の紅葉を見に室堂に行ってきました。

 室堂には、ホテル立山の一階に

立山山頂簡易郵便局」が設置されています。

ここから絵葉書を送ったのですが、管理人の字があまりに下手だったのか

到着まで4~5日を要しました。

 

10月半ば以降、日本全国が秋模様になってきてます。

 

阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#10≫ 今日の一枚 ― 「アカツメクサ」と森林鉄道の栄枯盛衰―

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 道端で出会った小さなピンクの花

 #「アカツメクサ」でしょうか?

 

阿寺渓谷の3つの滝と

野尻森林鉄道の遺構と

透き通った阿寺ブルーの淵を紹介してきました。

 

 

最後に、木曽林業と森林鉄道と水力発電について触れたいと思います。

長々と文字が続きますので、退屈な方はどうぞ読み飛ばしてください。

 

 

9月末の記事で、

伊勢神宮の「式年遷宮」にも使われている「御料林」の運び出しが、

「木曽式伐木運材法」と呼ばれる木曽川とその支川を利用した運搬方法で行われていたと書きました。

 

martintan.hatenablog.com

 

martintan.hatenablog.com

 

大正末期から昭和にかけて「木曽式伐木運材法」は一気に森林鉄道に変わっていきます。

水力発電がこの運搬方法に引導を渡したという感があります。

 

明治時代、産業革命の中、猛烈なスピードで変化し進歩する欧米に

追い付き放されないようにする為、

当時の日本の人々は

貪欲に、リスクを恐れず、何度も失敗をしでかしながらも

制度設計と技術革新を進めていきました。

その一つが電力・発電事業です。

 

3月25日は「電気記念日

1878(明治11年)のこの日、東京虎ノ門工部大学校(後の東京大学工学部)のホールで

「アーク灯」という電灯が明るい灯をともしました。

他方、ガス灯は電灯より早くに実現しています。1972年(明治5年)に横浜市に設置されました。

主な需要先が電灯だった時代、ガス灯と電灯の競争は熾烈だったと思われます。

黎明期の発電は小規模な石炭火力発電でした。

この頃の送電可能な範囲はとても狭いものでした。

東京では、明治20年頃に5つの「電燈局」という名称の発電所が設置されました。

日本最初の火力発電所茅場町にあった「第二電燈局」です。

出力は25kw。配電方式は電圧210ボルト直流三線式。

茅場町のホテル「相鉄フレッサイン」の前に記念碑が残されているそうです。

市街地の発電所。都心の発電所です。

全国各地に小規模な火力発電所を所有して電灯販売をする電力会社「○○電燈」が乱立しました。

 

日本で最初の事業用水力発電所は京都の蹴上発電所です。

1891年(明治24年)に運転を開始しました。

今ではインクラインの桜が奇麗なところですね。

 

1889年(明治21年)に、大阪電燈は西道頓堀の火力発電所に60Hzの交流発電機を設置し、1150ボルトの高圧送電を開始します。発電機はアメリカのトムソン・ヒューストン・エレックトリック社製(現在のGE社)でした。

これにより西日本の電気の周波数は60Hzになり、

また高圧送電により長距離送電の可能性が生まれました。

10年後の1899年(明治32年)には、福島県の紡績会社が猪苗代湖の沼上発電所から11000ボルトの送電電圧で郡山まで送電を開始し

1907年には、東京電燈が山梨県の駒橋発電所から55千ボルトで83km離れた東京へ送電し始めました。

(因みに、現在の高圧送電は55万ボルトだと聞いています。)

 

そして、日露戦争(1904~1905)後の急速な経済発展と石炭価格の高騰により水力発電への期待が一気に高まってきました。

 

慶應義塾創始者福沢諭吉」の次女の婿となったのが旧姓「岩崎桃介」です。

慶應義塾の運動会で福沢諭吉の奥さんの目に留まったのが婿入りのキッカケだそうです。婿入りの条件とはアメリカ留学費用負担だとか。。。

 

慶應義塾卒業後、桃介は福沢諭吉の勧めで北海道炭鉱鉄道に勤めます。

20代後半に結核になり療養生活を余儀なくされますが、

株式投資にのめりこみ、日露戦争後の世間の予想を覆す暴騰の恩恵を受け、350万円(当時)という莫大な利益を手中に収めます。

桃介は後藤新平などの勧めで投資家から実業家へと転身を図ります。(なお、同時期に大儲けした多くの他の投資家は、その後の株式暴落で大損をしています。)

 

東海地区では、「名古屋電燈」の筆頭株主となり社長に就任して、木曽川電源開発に注力していきます。

長野県、岐阜県を流れる木曽川のダム・発電所関西電力に属することになった経緯については、関西電力のホームページをご覧ください。

 

鉄道網の整備も急速に拡大していきました。

国鉄中央線の開通状況はというと、

東京側が、1889年に新宿~八王子間が甲武鉄道として開通、

名古屋側は、1900年に名古屋~多治見間が開通、1909年(明治42年)には野尻まで開通します。

1911年には新宿から名古屋まで中央線全線が開通しました。

 

木曽川発電所やダムを建設するためには水利権を取得する必要がありましたが、難しい問題の一つが御料林の木材を運搬する「木曽川式伐木方式」を解決することでした。

交渉の相手は宮内省帝室林野局。

そこで、桃介は後藤新平に応援を依頼しました。

ハードな交渉の結果、帝室林野局は「木曽川式伐木方式」放棄をみとめましたが、

代替の要求は、御料林と国鉄中央線の停車場を結ぶ森林鉄道および陸揚げ施設の建設費の全額負担でした。その額およそ100万円。(最終的には180万円まで膨らみました)

 

桃介は、日本電燈社内の猛反対を押し切り森林鉄道建設を決断します。

帝室林野局からの要求項目に、「野尻停車場を起点とし木曽川本流に鉄橋を架設して

殿および柿其の御料林に達する七哩三分の所謂野尻線」及び

「欄線、与川線、田立線の建設」が明記されていました。

(先般、掲載した野尻森林鉄道『木曽川橋梁』が含まれています)

 

こうして、水力発電を推進する名古屋電燈の資金で木曽谷地区の森林鉄道は一気に建設が進み

木曽川およびその支川を使っての材木運搬は廃れ、

木曽川にダムと発電所が建設されていきます。

 

河川の流れを利用した木材運搬から森林鉄道への変換は、木曽谷に留まらず全国に広がっていきました。

森林鉄道の拡大は1950年代前半にピークを迎え、1950年代後半からは急速に減少していきます。

 

森林鉄道衰退の理由は輸入材の増加による国内林業の衰退ではないかと思っていましたが、それは大きな間違いでした。

1950年代、1960年代は国産木材の生産量は増大し続けており、木材供給を円滑化するために「国有林事業に関する経営合理化方策」が策定され、

その中で既設の森林鉄道は自動車道に切替えて改良する」という方針が出されました。

河川による木材搬送を駆逐した森林鉄道は、およそ50年の後に、性能が向上し小回りの利く自動車に道を譲ることになります。

野尻森林鉄道も、1965年と1966年に廃止されました。

 

木材運搬の為の森林鉄道の最後は、1976年(昭和51年)、木曽谷の「王滝森林鉄道鯎川(うぐいかわ)支線」の廃止でした。

 

林野庁のホームページに、先般紹介した「木曽川橋梁」を対岸から渡る木材運搬列車の写真が掲載されています。

www.rinya.maff.go.jp

 

martintan.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#9≫  ―「淵」の「透明な青」その2 ―

遊歩道へと向かう「赤彦吊り橋」の下流付近です。

渓谷の入り口から3.5kmほど入った地点です。

人の様子で、

歩いて渡れる浅瀬のところと深い淵のところがよく分かります。

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橋の上から淵を見ています。川底まで見ることが出来ます。

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遊歩道から林道へ戻る「中八丁吊り橋」の上から上流側を撮っています。

「うなり島」方向です。

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下流側です。

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「熊ノ淵」まで来ました。阿寺渓谷入り口までは4.5kmの距離です。

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阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#8≫  ―「淵」の「透明な青」その1- 

阿寺渓谷の阿寺ブルーは流れが緩やかな#「淵」で見ることが出来ます。

阿寺の「淵」には動物に因んだ名前がつけられています。

「狸が淵」「犬帰りの淵」「熊が淵」「牛が淵」などなど。

 

淵では、川底まではっきりと見えるので深さがよく分かりません。

水温も低く(7月の平均水温13℃、8月の平均水温16℃)

大桑村観光協会のホームページでは

BBQ、花火、水遊び、飛び込み禁止と書いてあります。

また携帯は圏外だそうです。(でした)。

ご注意ください。

 

では、阿寺渓谷の「淵」の「透明な青」を二回に分けて掲載していきます。

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#「狸が淵」です。

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#「犬帰りの淵」では林道が橋を渡って右岸側に移ります。

橋のから上流側に広がっています。

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JR野尻駅に戻る帰途、「犬帰りの淵」では外国人らしき三人が泳いでいました。

川底の白い石まで見えますが、実際はかなりの水深のようです。

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阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#7≫ 「樽ヶ沢の滝」 ― 「樽ヶ沢橋」と森林鉄道のレール ―

阿寺渓谷の入口にあった案内を再掲します。

図の左上「現在地」から右下方向に向かって川沿いに歩いてきました。

図の中央付近に林道から図の右方向に向かう「樽ヶ沢林道」との分岐点があります。

その分岐を越えた直ぐ先に「樽ヶ沢橋」が架かっていますが、

#「樽ヶ沢滝」はこの橋の下にあります。

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「樽ヶ沢橋」は、以前は森林鉄道の「樽ヶ沢橋梁」だったようです。

この先に野尻森林鉄道時代には「樽ヶ沢停車場」がありました。

今はその跡地が駐車場になっています。

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林道の一部ではガードレールの代りに森林鉄道のレールを使っていました。

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橋の下に行くと滝の姿が見えてきます。

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この滝は上方向からしか見ることが出来ないので

画像ではわかりにくいですね。

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阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#6≫ 「六段の滝」と遊歩道

#「雨現の滝」の次は、阿寺渓谷のメインの滝#「六段の滝」です。

対岸の林道から見た「六段の滝」です。

滝の上部は茂った木々で見えません。

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対岸の遊歩道から下りれば

滝つぼの右側まで近づくことが出来ます。

 

 

大桑村観光協会の案内図からお借りした遊歩道の地図です。

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林道から#「赤彦吊り橋」を通って遊歩道に入り、

途中で#「六段の滝」の滝つぼまで往復し

#「中八丁吊り橋」から林道に戻るルートです。

徒歩60分程度とあります。

#「ウナリ島」まで行く場合はプラス30分だそうです。

(脚力・体力や混雑等により要する時間は異なりますのでご注意下さい)

 

「赤彦吊り橋」を渡って遊歩道に入っていきます。

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#「六段の滝」へは急傾斜の鉄製の階段を上り下りします。

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滝つぼの側まで近寄ることが出来ます。

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滝つぼ方向に身を乗り出して撮るとこんな感じです

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#「六段の滝」から遊歩道に戻り、#「中八丁吊り橋」を経て林道に向かいます。

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#「六段の滝」に向かって勢いよく水が流れていきます

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小さな木橋を渡ります

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帰りの電車の時間を考えると

そろそろ引き上げなければなりません。

#「うなり島」は断念して#「中八丁吊り橋」へ向かいます。

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阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#5≫ 今日の一枚 ― 「限りなく透明に近いブルー」―

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 「阿寺渓谷」「狸が淵」の青い水

 

 

阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#4≫ 「雨現の滝」 ― 慎ましやかな滝 ―

前回の掲載から少し間があいてしまいました。

9月末から10月初めに日本の太平洋側をかすめていった台風16号を避けるようにして

標高2500mほどの高地に、今年初めての紅葉を求めて行っておりました。

阿寺渓谷の一連の記事の次に掲載する予定です。

 

阿寺渓谷の小さな旅に戻ります。

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阿寺側対岸の遥か向こうの山の中腹に

一筋の滝の流れが見えました。

#「雨現」と命名されていますが、

雨の時だけしか見れないというわけでもないそうです。

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大きく引き寄せてみると

太刀持ちを従えた横綱の土俵入りの如く

左右にも滝を従えた三筋の滝になっていました。

前日まで3日ほど続いた雨のおかげで水量が増えていたからでしょう。

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クルマでは気付かずに通り過ぎてしまいそうな

少し遠方に小さく見える滝です。

阿寺ブルーと森林鉄道の遺構≪#3≫ 野尻森林鉄道の遺構 ― 木曽谷の森林と木材輸送② ―

阿寺渓谷に残る#「阿寺軽便鉄道」(後の「野尻森林鉄道阿寺線」)の遺構をたどります。

 

 

木曽川橋梁から木曽川右岸沿いに下流方向に歩いてきました。

 

 

阿寺渓谷の入り口に到着しました。

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阿寺軽便鉄道は、阿寺川右岸(下の案内図で左側の「通行止め」となっているルート)を通っていたようです。

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阿寺川左岸(上の地図で右側)の林道を登っていきます。

9月になって自動車進入禁止が解かれたので、時折り車が追い抜いていきます。

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上路トラスの#「阿寺第一橋梁」が見えてきました。

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 10年ほど前には歩いて渡ることが出来たようですが、

現在は「通行止め」という看板とロープが貼ってあり

通ることが出来ません。

 

林道を登っていくと、#「樽ヶ沢滝」の真上に

#「樽ヶ沢橋梁」という緑色に塗られた橋が架かっています。

以前は、同じ場所に森林鉄道の「樽ヶ沢橋」が架かっていました。

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鉄道や道路が普及する前の木材輸送は、「木曽式伐木運材法」と呼ばれる木曽川とその支川を利用した運搬方法でした。

 

チェーンソーなど無い時代、伐採は#「三ッ緒伐り(みつおぎり)」という

三方向から斧を入れて倒れる方向をコントロールする方法が採られていました。

現在でも、式年遷宮に使われる#「ご神木」の伐採の儀式で見ることが出来ます。

 

伐採された木材は、#「山落とし」という方法で、支川に集められます。

 

支川から木曽川までは#「小谷狩」という方法で運びます。

流量の少ない支川では、簡易の堰を作り、水と木材を貯めておいて

堰を決壊させ支川を一気に下らせます。

勇猛かつ危険と隣り合わせのやり方です。

 

「小谷狩り」で支川から木曽川まで運ばれた木材は#「大川狩り」という方法で

一本ずつ#「錦織網場」まで運んでいきます。

 

「木曽式伐木運材法」を分かりやすく説明したサイトを載せておきます。

興味をお持ちの方はご覧になってください。

moriwaku.jp

www.cbr.mlit.go.jp

 

 

https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/kiso/morigatari/unzaihou.html


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9月は多くの方にご訪問いただき、ありがとうございました。

引き続き、阿寺ブルーの魅力をご紹介して参ります。