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「転車台」 ― 「レールの行先は? 《#17》」 の番外編 ―

「レールの行先は? 《#17》 東京駅に匹敵する武豊駅」には

続き話がある。

 

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 1965年(昭和40年)以前は、

現在の武豊駅から先に線路が伸びていた。

それを物語っているのが下の地図に示した「旧国鉄武豊港駅 転車台」

 

1886年明治19年)の武豊線開業時の武豊駅はこの転車台付近にあった。

駅は海に面していて、長さ140m幅5.5mの木製桟橋が設置されていた。

東京と大阪を結ぶ新線建設のための資材搬入の起点として整備・設置された。

半田から武豊にかけては埋立の歴史の積み重ねで、

当時の海岸線は遥か内陸部にあったことがうかがえる。

 

 

 1892年(明治25年)に、武豊駅は現在の位置に移転され、

その後、旧武豊駅は「武豊港(たけとよみなと)駅」として機能した。

 

埼玉大学教育学部 社会講座 人文地理学 谷謙二研究室の手で作成された

「今昔マップ」を見てみると、当時の武豊線の終点と海岸線がよくわかる。

http://ktgis.net/kjmapw/index.html

 

 

 

修復された転車台は、このような形で 公園内に屋根付きで保存されている。

中に入って触れることは出来ない。

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転車台は客車や貨物車をけん引する機関車の向きを180度変えるための設備で

一般的には線路が1条備わっているだけだが、

武豊に残る転車台は線路が直角に2条ついている珍しい形状の設備。

 

 

現在、こうして現物を見ることが出来るのは

「小学生5年生による遺跡発見」という功績の賜物だそうだ。

www.pref.aichi.jp



 

 

一般的な1条のレールの転車台として現存するものはないかと調べたところ

JR東海の名古屋車両区に使用可能な状態で残っていると聞いて、

早速撮影しに行った。

 

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 (環状線「黄金陸橋」の歩道部から撮影)

 

一昨年の2017年4月に

JR東海名古屋車両区で、「さわやかウォーキング」が開催され、

特急「ワイドビューひだ」の先頭車両(キハ85)を

この転車台の上で方向を180度転換するというイベントがあった。

 

その後、日常的に使用されているかどうかは不明だが

この転車台はまだ使える状態で整備されているようだ。

 

 ↓ 2017年4月の「さわやかウォーキング」の紹介記事はこちら

4travel.jp

 

 

 

レールの行き先は? ≪#17≫  東京駅に匹敵する武豊駅

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  (武豊線武豊駅」ホームより撮影)
 

 

先日、

「日本で最も高い駅は東京駅。

東京駅に向かう列車は全て上りだから。

 でも、日本で海抜が一番低い駅も東京駅」

という答えの謎なぞを掲載した

 

martintan.hatenablog.com

 

 

本日の記事の対象は武豊線武豊駅。

 

中部地区で最も早く開通した武豊線

大府駅を過ぎてから東海道本線と分岐する。

 

そして終点の「武豊駅」に向かう列車は「上り」である。

従って、東京駅と同様、武豊駅から出発する列車は全て「下り」となる。

 

「日本で一番高い駅は?」

という謎なぞの一番正しい答えは

「東京駅と武豊駅」

 

もっとも多くの線が通る東京駅と違い

武豊駅は武豊線のみで、しかも単線ではあるが・・・

 なお、読み方は

「たけとよ」と読みます。

東京駅丸の内口

今宵は、この駅に向かう全てが上り列車という東京駅と

丸の内仲通りを題材にして

画像を掲載します。

 

 

  ☟ 東京駅前JPタワー・KITTEの屋上テラス

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 ☟ JPタワーテラスから見た東京駅(丸の内口側)

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   ☝ 東京駅のホーム達

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  ☝ 東京駅丸の内口(新丸ビルテラスから撮影)

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  ☟ 丸の内仲通のイルミネーション

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 ☟ イルミネーションとライオンのモニュメント

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 ☟ イルミネーション輝く丸の内仲通から小路に迷い込む

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  表通りに面した「三菱一号館美術館

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三菱地所さん、スゴイなぁ・・・・

レールの行き先は? ≪#16≫  中部地区で最も早く開通した鉄道「武豊線」

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  (武豊線の踏切から撮影)

 

日本の鉄道は明治時代にスタートした。

1873年(明治5年)に、横浜・新橋間が開通。

続いて、1875年(明治7年)に大阪・神戸間が開通した。

 

明治政府は東京と大阪を結ぶ路線として中山道を選び

1983年(明治16年)に高崎~大垣間で着工したものの

山岳地帯を通る路線は難工事が続いた。

 

中部地区での鉄道建設工事を進めるため

資材を、武豊港で荷揚げし

中山道沿いに新設する線路に提供すべく

武豊駅~木曽川駅間の路線を先行して建設

1886年明治19年)に開業された。

武豊線は中部地区で最も早く開通した路線となった。

 

中山道沿いのルートは難工事が続き完成時期が大幅に遅れる

武豊線が開通した1886年

東京と大阪を結ぶルートが中山道から東海道に変更された。

 

そして、武豊線の一部は東海道本線に引き継がれることになり、

始発駅(終点駅)の武豊駅は

東京駅と同等に位置付けられることになった。

その話は次回に。

 

冒頭の写真のレールは、武豊駅に向かって緩やかに上昇している

 

 

 

東北本線岩切駅で見かけた不思議な列車  ―ちょっとマニアックな記事―

JR東北本線に乗って仙台から一関方面に北上すると

二つ目の駅が「岩切」駅

ここで東北本線は、利府駅に向かう利府支線と分離する。

 

岩切駅で下車すると、目の前に

初めて見る列車が停車していた。

 

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  (バラストレギュレーター)

 

 

そしてもう一台。

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    (マルチプルタイタンバー)

 

 

仙台付近は雪はあまり積もらないと聞いているが

除雪関係の列車なのかとも思ったが、

鉄道の列車に詳しい方に聞いて判明。

 

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   (バラストレギュレーターの一部拡大画像)

 

 

 ヒントは

1枚目の列車に書いてある「SENKEN」の文字と

拡大画像の「Plasser&Theurer」「KSP2002E-LP」

の文字。

 

 

それは・・・

鉄道の枕木やレールを支えるバラストを整備する列車。

 

詳しくは以下のリンクを参照下さい。

 

www.senken-k.co.jp

 


Multiple Tie Tamper マルチプルタイタンパー 夜間保線作業 東海道本線

     ☝見入ってしまいますね。

 

 

Prasser&Theurer社は

本社がウィーンにあるオーストリアの会社で

線路工事用の重機を造っているメーカー。

 

鉄道に携わる会社は一般的には知られていない会社が多い。

そうした会社と社員の皆さんが鉄道技術の進歩や鉄道の整備・安全を支えている。

また一つ新しい世界を知りました。

 

東北を訪れたときには

出来れば

温泉記事や食記事を 掲載したいですね。。。

 

歴史的建造物と紺屋街道  《半田の街並#4》

内容濃いMIZKAN MUSEUMを後にして

半田市内に残る歴史的建造物と紺屋街道を訪ねた。

 

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 ☟ 小栗家本宅

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  ☟ 半六庭園

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 ☟ 半田運河沿いの黒壁の建物

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  ☟ 紺屋街道

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☟ 紺屋街道の常夜灯

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  ☟ 寺の屋根に架かる夕刻の月

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半田は他にも見どころが沢山ある。

愛知県半田市の見どころについては、こちらをご覧ください。

www.handa-kankou.com

 

MIZKAN MUSEUM 《半田の街並 #3》

 ☟ 外観

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 レトロな郵便ポストが立っている。 

 

 ☟ 敷地の中に入ると、左手にお宮が祀ってある

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  ☟ 「大地の蔵」では、酢の製造過程を模型を使って説明している

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  ☟ 当時の酢造り職人の階層図

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  このブログの画像達は、まだまだ「ホチ」レベル。

  「人足回し」レベルになるにはまだ何年かかることやら・・・

 

 

 

 ☟ 各種の酢の香りを嗅ぐことが出来る

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 ☟ 酒粕酢が江戸前寿司をつくった

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 (江戸前寿司を支え、江戸前寿司によって一気に財を成した中埜商店)

 

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寿司の歴史を紐解いてみると・・・

 

今では寿司というと江戸前の握り寿司を思い浮かべるが、

元々の寿司は「なれずし」と呼ばれる魚を塩と米で乳酸発酵させたもの。

その代表が滋賀県の「鮒ずし」である。

 

江戸前の握り寿司の登場は独創的というか少々インチキ臭いところがあるようだ。

江戸前握りずし、別名「はや寿司」は、

それまでの「なれずし」の発酵という過程を経ていない。

「そんなん『すし』とは言えないだろう」という声が聞こえてきそうだ。

 

しかし、

ナマモノと米を食酢でしめ、

ワサビで殺菌し、

ガリ(ショウガの酢漬け)で寄生虫を殺すという知恵を使い、

発酵の部分は野田の醤油に委ねるというスタイルを確立した江戸前寿司

気が短い江戸っ子の人気を博したらしい。

 

一方、

日本の酢は、米酢と粕酢の2種類からなる。

米酢の歴史は古く、作った酒に酢酸菌を加えて発酵させ作られた食酢で

5世紀頃に中国から伝わったそうだ。

粕酢は酒粕から造る酢で、その歴史は新しく

酢酸菌を使うだけに酒造家は避ける。

 

1804年に分家独立した初代中野又左衛門は粕酢造りにチャレンジする。

或いは、本家との関係で酒造りが出来なかったのかもしれない。

 

当時の江戸で人気になり始めた「はや寿司」に使われる酢が

高価な米酢から、

安価で風味が寿司にあう粕酢に転換しつつあるチャンスを逃さず

中野又左衛門は、一気に生産量を増やし、

大量輸送手段である船を調達し、

江戸における「半田の粕酢」ブランドを確立した。

 

市場規模激変の見極め、人材・原料の調達力、資金調達力、

そしてその情報収集力、決断力および判断力は素晴らしいものがある。

 

 

 

なお、この辺りは、

以下のサイトを参考にした

www.mizkan.co.jp

 

shokubun.la.coocan.jp

レールの行先は? 《#15》   深~い駅の話

 

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     (JR横須賀線東京駅ホームから撮影)

 

モノトーンのトンネルの中で青く光る信号。

 

進め!!

レールの行き先は?

 

 

JR鶴見線から一旦離れ

本日は、JR総武線横須賀線の東京駅から見たレール画像を掲載します。

 

 

 

JR総武線横須賀線東京駅は地下5階にあって

かなり深い。相当深い。

東京駅の総武線横須賀線のホームは地上からの深さ▲27.5m

 

 

国内の鉄道駅でこれより深い駅はあるのかと調べてみると

やはりこのホームの方が深かった。

 

東京駅京葉線ホームが地上からの深さ▲35m

その低さは海抜で言うと▲27.19m

 

 

更に深い駅はあるのかというと、

JRではなく、都営地下鉄大江戸線六本木駅ホームが▲42.3m

 

 

鉄道ファンにとっては常識の範疇だろうが、

深い上に、上下線ホームの高低差が非常に大きな駅がある。

 

通称「モグラ駅」と呼ばれる上越線の「土合駅

 

標高583mの地下上り線ホームと

改札口がある標高653.7mの下り線ホームとの標高差は70.7m。

 

上り線地下ホームから改札口まではエレベーターもエスカレーターもなく、

延べ486段もの階段をひたすら登るのみ。

 

土合駅については

はてなブログでも幾人かの方が紹介している。

 

tetsutorin.hatenablog.com

 

kuromiyahara.hatenablog.com

 

 

以前は

国内にとどまらず世界で最も深くて低い駅は

青函トンネル内の「吉岡海底駅」だった。

標高▲149.5m

 

ところが、北海道新幹線乗り入れにともない

もう一つの海底駅「竜飛海底駅」▲135mとともに

廃止されてしまった。

d.hatena.ne.jp

 

 

 

その結果、今や

国内で最も低い駅は

なんと東京駅京葉線ホーム。

 

 

「全ての線が上りなのに

一番低い場所はどこ?」

という謎なぞが生まれるわけだ。

 

 

 

危ない!! 《半田の街並み#2》

「危ない!!」

 

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   ↑  MIZKAN  MUSEUMの「大地の蔵」の出口手前にあった

     記念写真撮影用の「だまし絵画像」

 

 

 

半田市って何処にあるんだ?

 知らねえよ。」

と仰る方も少なくないと思う。

 

グーグルマップでその位置を確認してみよう。

愛知県・三重県が太平洋に面したところに

紀伊半島渥美半島で囲まれた海域に「伊勢湾」と「三河湾」が存在する。

そして、「伊勢湾」と「三河湾」を区切っているのが知多半島

 

中部国際空港は、知多半島の西側の伊勢湾側の「常滑(とこなめ)市」に位置する。

 

半田市は、知多半島の東側、三河湾側の付け根に位置する。 

 

 

 

昨年9月に掲載した300万本の彼岸花が咲き誇る「矢勝川の土手」も半田市に位置する 

martintan.hatenablog.com

 

 

 

半田運河の大正時代に撮られた写真が「風の回廊」に掲載されていた。

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当時の賑やかな様子がよくわかる。

 

 

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☟ 半田から江戸まで酢を運んだ船を再現(「弁才船」と呼ばれた)

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窓     ≪半田の街並み ♯1≫

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 (MIZKAN  MUSEUM「風の回廊」の窓から撮影)

  目の前の水面は半田運河。対岸は建物の黒壁。

 

 

 

味ポン」等で有名な「ミツカン グループ」

創業は1804年とあるので、その歴史は200年以上になる会社である。

 

非上場だが、CMを含め企業PRに力を入れており

本社所在地の愛知県半田市

MIZKAN  MUSEUM  という酢に纏わる博物館を公開している。

館内の撮影も許されていたので、

画像と共に紹介していきます。

 

大きくは

酢の製造過程に関わる説明がメインの「大地の蔵」

酢とミツカンの歴史を説明する「時の蔵」

に別れている。


係りの方の説明がつく「時の蔵」は予約制になっている。

 特に土日祝日は早めに予約をしておいた方がよいほど人気があるようだ。

 

この日は他の予定もあって、

事前予約をせずに訪れたが、

運良く一時間待ちほどで入ることが出来た。

 

待ち時間の間に、

急ぎ、教えてもらった近くの店で遅めの昼食をとり

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その後、予約不要の「大地の蔵」を見ることが出来た。

 

 

 

冒頭の画像は

「時の蔵」の第一ステージ「風の回廊」の突き当たりにあって

半田運河に面した窓越しの風景。

アプリで絵画風に少しデフォルメしてみた。

 

 

続いて、「時の蔵」最終ステージ「光の庭」にある沢山のにぎり寿司。

 

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サンプルとは思えぬ全てのにぎり寿司が異なる形をした精巧さ。

見学前に食事をしておいて良かった。

 

 

 

 名古屋から半田までの交通手段としては

名鉄名古屋鉄道)で知多半田駅まで来る方が多いと思うが、

今日は、半田駅で下車するJR武豊線を選んでみた。