雪吊りと竹林の小路と数々の池 《白鳥庭園 #3》

白鳥庭園の正門を入り

道なりに左に曲がると、可憐な紫の水仙がひっそりと咲いていた。

 

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休日というのに人が疎らというのは

開花した梅が少なく見頃の花が少ないからか。

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  ↓ 築山から流れ出す川の滝

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「水琴窟(すいきんくつ)」という雅で優雅な音を楽しむ楽器(「ポチョン」「ポコン」という音が聞こえる)

 ↓ 画面中央の縦に並ぶ三つの穴

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  ↓ その穴に、この竹の先をあて反対側を耳に当てると水滴が滴る音が響く

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  ↓ 東屋から眺める「雪吊り」

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 ↓ 青空と雲を強調してみると

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 「名古屋の雪吊り」は雪が積もった日にでも撮影しないとしっくりこないなぁ・・

 

 ↓ 単なる「池」ではなく

  伊勢湾に注ぎ込む木曽三川木曽川長良川揖斐川を表しているとのこと

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この辺り、幾つかの木橋が架かっており、いい感じになっている。

 

 

  ↓ 小振りながら「竹林の小路」も整備されている

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見どころ満載の庭園で、年配者の入場料は100円。

「週に五日訪れる」という方がいるのも頷ける。

紅葉の時期のライトアップも綺麗だそうだ。

レールの行き先は? ≪#19≫ ― どこまでも伸びていく ―

 

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  (衣浦鉄道株式会社半田線踏切から撮影)

 

周囲を緑に囲まれた中

緩やかに左にカーブするレールの行き先は?

早咲きの梅 《白鳥庭園 #2》

白鳥庭園の公式ホームページによれば、

例年通りなら、2月下旬頃から梅の花が楽しめるようだが

この日はまだほとんどが蕾で

数少ない早咲きの梅の木が咲いている程度だった。

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日がさしていい天気だったが、若干風が強く

揺れる花を近接するのはなかなか難しい。

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  ↓ 紅梅をone colorで撮影

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レールの行き先は? ≪#18≫  ―名古屋車両区の転車台から先のレールは―

今の鉄道列車は前後どちらの方向にも進むことが出来るから

転車台の必要性は乏しい。

 

しかし、

蒸気機関車に代表されるように、

昔の機関車は前後の方向が決まっていた。

その為、

線路の起点、終点には機関車の向きを変える転車台が必要だった。

 

 

JR東海の名古屋車両区に残る転車台のレールの行き先は

というと・・・

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転車台のレールの行き先は・・・「行き止まり」

 

まるで

名古屋高速道路を支える橋脚の中に頭を突っ込むように感じる。

 

   ↓ このグーグルマップで転車台の先の位置関係がわかる(高速道路の下の白いコンクリート

早春の椿と和菓子  《白鳥庭園 #1》

おはようございます。

今年最初の花画像は椿。

花を対象にするとブログのいろどりが一気に豊かになる。

 

前回花を掲載したのは、

昨年の9月末の彼岸花だったから

4~5か月ぶりとなる。

 

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   ↑ 「白鳥庭園」でひっそりと咲いていた「寒椿」

 

 

 

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   ↑ 「乙女椿」をone colorで撮影

  

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  ↑ 「茶器と楊枝」(茶器と楊枝にピントが合って和菓子がボケてしまった^^)

 

 

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  ↑ 茶店の出窓に飾ってあった観葉植物
 

 

白鳥庭園は地下鉄名城線線「神宮西駅

から歩いて10 分ほどの場所に位置する。

神宮西駅から白鳥庭園へ向かう途中、

江戸時代初期に名古屋城建築のための資材搬入ルートとして作られた「堀川」という運河を渡るのだが、

この堀川の河口が「東海道七里の渡し」になる。

七里の渡し(別名「宮の渡し」)はこの地図の下方、白鳥橋の下にある。

 

この地は、昔の「白鳥貯木場」という木場を埋め立てて作られているため面積が広い。

平成元年(1989年)に開催された「世界デザイン博覧会」のパビリオン「日本庭園」として作られたものを

整備しなおして「白鳥庭園」として開業した名古屋市の施設である。

 

木曽の御嶽山(おんたけさん)に見立てた築山

木曽川に見立てた滝や岩を配した水の流れ

公園のかなりの割合を占める池

平成10年から始めたという雪吊りに茶室

竹林の小路

等々盛り沢山の施設が配置されている。

 

当初、外国の方の目を対象に設計されているためか

「日本の典型」と「東海地方の地形」をあれこれ盛り込んだという感もある。

 

 

 

庭園の中でキヤノンのカメラを持った年配の男性と撮影話をする機会があった。

白鳥庭園から徒歩5分ほどのところに居を構え

週に5日、白鳥庭園にカメラ撮影に来ているとのこと。

 

L版にプリントしたお気に入りの写真をたくさん見せていただいた。

庭園に来る鳥たちを写した写真。

季節感あふれる雲を背景とした庭園の写真。

 

「80歳の手前」という年齢よりは遥かに若く見えるのは

好きな趣味を持ち、毎日広い庭園内を歩き回っているからか。。。

カメラを本格的に始めて2年ほどと言っていたが、

300mmの望遠を手持ちで

飛来する鳥たちを撮影するなど

なかなかの腕前と拝察する。

 

大人の入場料300円のところ(これでも安いが)

名古屋市在住で65歳以上の方の入場料は僅か100円となっている。

カメラやレンズや三脚等の機材の初期投資のみで満足できれば

真に立地条件に恵まれ、手軽で安価な老後の趣味と言えよう。

醸造の香り漂う街、初めて見た「ざる蕎麦のザル」 ― Happy St. Balentine's Day! そして9000アクセス達成御礼 ―

Happy St.Balentine's Day!!

そして、9000アクセス達成ありがとうございます。

 

バレンタインデイの日のブログの表題が「醸造」「ざる蕎麦」というのも何かの縁。

このブログの性格が表れているのかもしれません。

 

毎度のご挨拶・御礼になりますが、

本ブログを初めて訪問してくださる皆様、

繰り返し訪問してくださる皆様、

「スターマーク」ボタンを押してくださる方々、

コメントを書き入れてくれる皆様、

ありがとうございます。

 

ブログを開始してから15か月が経過しております。

継続は力なり。

こうして続けることができたのも皆さんのご支援のおかげだと

心より御礼申し上げます。

 

これからも

皆さんのブログに触発されつつ

小さな旅と

美しい風景に花と鉄道の写真と食と酒と

合間の温泉・銭湯を楽しみながら

続けて参ります。

よろしくお願い致します。

 

 

 

さて、

武豊町の鉄道用転車台を見に来て

その周辺に漂う醸造の香りを感じた。

 

この辺り、「味噌」「たまり」工場が並んでいるそうだ。

比較的小規模な製造工場と販売店

細い道に沿って黒い壁を並べている。

 

側溝から立ち上る蒸気には仄かな香りがあり

道路には人影も少なく

シャッターチャンスに事欠かない。

香りをお届けできないのが残念だ。

 

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話は飛ぶが、

武豊に来る途中、「手打ち蕎麦処『源平』」さんにて

遅めの昼食で「ざる蕎麦定食」を食べた。

 

寒い日ではあったが、ここ最近暫く蕎麦を食べておらず

身体が欲していたように思う。

 

ざる蕎麦といなり寿司の組み合わせで1000円ほど。

注文した品が出てきて、驚いた。

これだけの量を食べきれるだろうか・・・・

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ざる蕎麦は一般的に、品がいいというか、量が少なめで

一半(1.5人前)を頼むかどうか悩むケースが多い。

定食に付随する「いなり寿司」も二つほどが一般的だ

と思う。

にもかかわらず、源平さんではこの量の蕎麦と三つのいなり寿司。。。

太っ腹な大サービスに驚いた!

 

そして、その後

ざる蕎麦を食べ始めて

現れたざる蕎麦のザルの形状に驚いた。

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初めて目にする

上げ底」ならぬ「笠底」

盛り方も見事。

 

適量の手打ちの蕎麦を美味しくいただいた。

 

中部地方で最も古い武豊線

半田市武豊町醸造の歴史

をメインに紹介してきた知多半島シリーズは

ここらで一旦終了し、

次回から「花と庭園」記事に移ります。

 

 

 

MIZKAN MUSEUM で聞いた「江戸前握り寿司」の爆発的拡大と

酒粕酢の生産販売と輸送船の確保により

一気に発展し巨大な富を築いたこと

 

江戸時代の船主は、積み荷を買い取って運び

荷卸し先で高値で売れれば儲かるという仕組みだったこと

 

従って、売り手は

売れる商品を用意し、船主に利益が出る価格を提示できれば

次々と船をチャーターすることが出来たこと

自分自身が船主になれば、その利益も手にすることが出来るが

遭難・強奪・売れ残り等のリスクも負うことになる

 

江戸時代に人気だった半田の酒造りが

明治時代になって鉄道が普及したことにより輸送時間が短縮され、

次第に、ブランド力を持つ灘の酒に押され縮小していったこと

 

縮小する半田の酒蔵にあった樽などの設備が武豊に移転され

味噌・たまり醸造工場で再利用されたこと

 

半田・武豊を巡る過程で、とても興味深い話を知ることが出来た。

 

 

 

「転車台」 ― 「レールの行先は? 《#17》」 の番外編 ―

「レールの行先は? 《#17》 東京駅に匹敵する武豊駅」には

続き話がある。

 

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 1965年(昭和40年)以前は、

現在の武豊駅から先に線路が伸びていた。

それを物語っているのが下の地図に示した「旧国鉄武豊港駅 転車台」

 

1886年明治19年)の武豊線開業時の武豊駅はこの転車台付近にあった。

駅は海に面していて、長さ140m幅5.5mの木製桟橋が設置されていた。

東京と大阪を結ぶ新線建設のための資材搬入の起点として整備・設置された。

半田から武豊にかけては埋立の歴史の積み重ねで、

当時の海岸線は遥か内陸部にあったことがうかがえる。

 

 

 1892年(明治25年)に、武豊駅は現在の位置に移転され、

その後、旧武豊駅は「武豊港(たけとよみなと)駅」として機能した。

 

埼玉大学教育学部 社会講座 人文地理学 谷謙二研究室の手で作成された

「今昔マップ」を見てみると、当時の武豊線の終点と海岸線がよくわかる。

http://ktgis.net/kjmapw/index.html

 

 

 

修復された転車台は、このような形で 公園内に屋根付きで保存されている。

中に入って触れることは出来ない。

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転車台は客車や貨物車をけん引する機関車の向きを180度変えるための設備で

一般的には線路が1条備わっているだけだが、

武豊に残る転車台は線路が直角に2条ついている珍しい形状の設備。

 

 

現在、こうして現物を見ることが出来るのは

「小学生5年生による遺跡発見」という功績の賜物だそうだ。

www.pref.aichi.jp



 

 

一般的な1条のレールの転車台として現存するものはないかと調べたところ

JR東海の名古屋車両区に使用可能な状態で残っていると聞いて、

早速撮影しに行った。

 

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 (環状線「黄金陸橋」の歩道部から撮影)

 

一昨年の2017年4月に

JR東海名古屋車両区で、「さわやかウォーキング」が開催され、

特急「ワイドビューひだ」の先頭車両(キハ85)を

この転車台の上で方向を180度転換するというイベントがあった。

 

その後、日常的に使用されているかどうかは不明だが

この転車台はまだ使える状態で整備されているようだ。

 

 ↓ 2017年4月の「さわやかウォーキング」の紹介記事はこちら

4travel.jp

 

 

 

レールの行き先は? ≪#17≫  東京駅に匹敵する武豊駅

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  (武豊線武豊駅」ホームより撮影)
 

 

先日、

「日本で最も高い駅は東京駅。

東京駅に向かう列車は全て上りだから。

 でも、日本で海抜が一番低い駅も東京駅」

という答えの謎なぞを掲載した

 

martintan.hatenablog.com

 

 

本日の記事の対象は武豊線武豊駅。

 

中部地区で最も早く開通した武豊線

大府駅を過ぎてから東海道本線と分岐する。

 

そして終点の「武豊駅」に向かう列車は「上り」である。

従って、東京駅と同様、武豊駅から出発する列車は全て「下り」となる。

 

「日本で一番高い駅は?」

という謎なぞの一番正しい答えは

「東京駅と武豊駅」

 

もっとも多くの線が通る東京駅と違い

武豊駅は武豊線のみで、しかも単線ではあるが・・・

 なお、読み方は

「たけとよ」と読みます。

東京駅丸の内口

今宵は、この駅に向かう全てが上り列車という東京駅と

丸の内仲通りを題材にして

画像を掲載します。

 

 

  ☟ 東京駅前JPタワー・KITTEの屋上テラス

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 ☟ JPタワーテラスから見た東京駅(丸の内口側)

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   ☝ 東京駅のホーム達

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  ☝ 東京駅丸の内口(新丸ビルテラスから撮影)

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  ☟ 丸の内仲通のイルミネーション

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 ☟ イルミネーションとライオンのモニュメント

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 ☟ イルミネーション輝く丸の内仲通から小路に迷い込む

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  表通りに面した「三菱一号館美術館

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三菱地所さん、スゴイなぁ・・・・

レールの行き先は? ≪#16≫  中部地区で最も早く開通した鉄道「武豊線」

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  (武豊線の踏切から撮影)

 

日本の鉄道は明治時代にスタートした。

1873年(明治5年)に、横浜・新橋間が開通。

続いて、1875年(明治7年)に大阪・神戸間が開通した。

 

明治政府は東京と大阪を結ぶ路線として中山道を選び

1983年(明治16年)に高崎~大垣間で着工したものの

山岳地帯を通る路線は難工事が続いた。

 

中部地区での鉄道建設工事を進めるため

資材を、武豊港で荷揚げし

中山道沿いに新設する線路に提供すべく

武豊駅~木曽川駅間の路線を先行して建設

1886年明治19年)に開業された。

武豊線は中部地区で最も早く開通した路線となった。

 

中山道沿いのルートは難工事が続き完成時期が大幅に遅れる

武豊線が開通した1886年

東京と大阪を結ぶルートが中山道から東海道に変更された。

 

そして、武豊線の一部は東海道本線に引き継がれることになり、

始発駅(終点駅)の武豊駅は

東京駅と同等に位置付けられることになった。

その話は次回に。

 

冒頭の写真のレールは、武豊駅に向かって緩やかに上昇している