水のある風景 ― ライトアップされた歴史的建造物と人気のスーパー銭湯 ―

先般、満開の桜と歴史的建造物の尖塔の画像を掲載した。 

martintan.hatenablog.com

 

 

 

今日は、夕刻から日没そしてライトアップされた「松重閘門」の画像を紹介します。

f:id:martintan:20190407174642j:plain

 

f:id:martintan:20190327130117j:plain

   ↑ 堀川の左岸から撮影

 

 

 

f:id:martintan:20190319123214j:plain

    ↑ 閘室部から中川運河方向を撮影

 

3枚目の画像は

「以前、ヨーロッパに行った時の写真が出てきたので『水のある風景』と題して掲載します」

と、言っても通じるのではないかと思うくらいの眺めである。

 

 最初の画像は

背景に名古屋高速道路が映りこんでいるのが残念。

 

 

 

f:id:martintan:20190411133646j:plain

 

f:id:martintan:20190411134209j:plain

  ↑ 夕暮れ時の松重閘門

 

 

名古屋には、

江戸時代の初頭、名古屋城築城時に大活躍し、

その後も名古屋の発展に寄与した「堀川」と

1932年に完成した中川運河という二つの運河が存在する。

 

堀川は、熱田神宮近くの旧東海道「七里の渡し(宮の渡し)」から名古屋城の西側まで通じており

中川運河は名古屋港から名古屋駅近くの「ささしまライブ」付近まで通じている。

 

以前は、堀川と中川運河は船で行き来することが出来た。 

水位が1mほど異なる堀川と中川運河の間の船舶通行を可能にするため、

二つの河川の近接部に2つのゲート(閘門)に区切られた閘室を設け

船が行き来できるようにしていた。

規模ははるかに小さいが、パナマ運河と同じ方式である。

 

松重閘門の工事は1930年(昭和5年)に着工し

中川運河開通の1932年(昭和7年)に完成した。

 

その後、輸送手段が道路による輸送に移行してきたため

1968年(昭和43年)に閘門は閉鎖され

1976年(昭和51年)には撤去された。

しかしながら、尖塔部は住民からの強い要望により存続することになった。

 

新幹線で東京方面から名古屋に向かい

名古屋到着の少し前に、進行方向右手を見ると

その美しい姿を見ることが出来る。

 

 

 

 

【近くのスーパー銭湯】 

上の地図の中央左、

松重閘門の左方向に「山王温泉喜多の湯」というスーパー銭湯がある。

湯船の種類が多く、休憩所の設備と広さも豊かで、

アクセスも名鉄名古屋駅金山駅の間にある山王駅から徒歩5分ほどと便利なので、

ときどきお世話になっている。

 

有料駐車場が併設されていて、

60分平日300円、土日祝日400円と設定されている。(2019年4月1日現在)

 

「喜多の湯」の利用者は6時間分の駐車場金代が無料になる。

「喜多の湯」の料金は、平日650円、土日祝日750円。

岩盤浴は別料金で前日600円。   (2019年4月1日現在)

 

名古屋鉄道山王駅から徒歩5分程度と便利で、

浴槽の種類が多く、露天風呂だけでも炭酸風呂、壺風呂、ジェット風呂寝湯等があり広々としている。

ブランケットとリクライニングチェアが用意された無料休憩所も広々していて、

非常に人気のあるスーパー銭湯である。

時間によってはかなり混みあう点がマイナスだが、

これも人気ゆえのことなのである程度は仕方ない。

 

 

今回、撮影にあたっては、 

「喜多の湯」の駐車場に車をとめ

松重閘門まで徒歩で出向き撮影をしたのち、

のんびりと湯につかり冷えた身体を暖めるという贅沢を味わった。

 

 

 

そして 陽が落ちて、松重閘門の尖塔にライトがあてられた。

f:id:martintan:20190411134521j:plain

 

     

f:id:martintan:20190411134632j:plain

 

 

f:id:martintan:20190411134818j:plain

 

 

f:id:martintan:20190411135002j:plain

 

レールの行き先は? ≪#27≫  ― アーチ橋を渡り、その先は ―

珍しいコンクリートのアーチ橋を渡り右にカーブするレールの行先は?

 

f:id:martintan:20190421221517j:plain

  (JR南武線南多摩駅ホームから撮影)

 

 

国鉄時代の南武線を知っている人にとって

南武線沿線の発展は驚愕するほどのスピードとレベルだ。

武蔵小杉駅を中心に、大工場の跡地が高層マンションに変わり

横須賀線との乗換えが可能になり

平成時代に、首都圏で最も様変わりした地区である。

 

久方ぶりに南武線に乗って、更に驚いたのは

双方向の列車が混んでいること。

 

朝は都心に向かう列車が混み、

夕方は都心から郊外に向かう列車が混むというのが普通である。

 

朝の川崎へ向かう南武線の列車が混みあっているのは当然と思うが、

立川方面の列車も南多摩駅あたりでは降車するのが困難なくらい混んでいる。

 

 

 

 

東洋のパナマ運河「松重閘門」と桜開花

おはようございます。

このところの忙しさで

撮影も記事掲載も滞りがちですが、

なんとか時間を作って継続していきますので

ご支援のほどよろしくお願いします。

 

 

さて、

季節外れの暖かさと寒さに翻弄され

例年よりは花見の時期が長かった桜も

葉桜へと変わってきた。

 

以前は、名古屋の「堀川」と「中川運河」という二つの運河は

名古屋市中川区山王付近で結ばれ船が行き来していた。

二つの運河は水位が異なるため

水位調節をする二つのゲートで仕切られた閘室が設けられていた。

 

現在は、閘室は埋め立てられゲートの開閉に使用された尖塔だけが

残されている。

 

 

f:id:martintan:20190411134043j:plain

 (4月第一週頃の松重閘門尖塔を彩る桜)

 

 

「東洋のパナマ運河」と称するには規模が小さすぎる感もあるが、

パナマ運河と同じ方式のゲートは、日本では松重閘門だけだ。

 

f:id:martintan:20190416100449j:plain

 

 

次回の記事では

ライトアップされた尖塔の画像とともに

松重閘門を詳しく紹介します。

 

 

 

レールの行き先は? ≪#26≫  ― 佇む貨物車両の横を抜けていくレール ―

 

左右のレールが一つになり

左に曲がりながら先に延びていく

その行き先は?

 

f:id:martintan:20190320083141j:plain

 (名古屋臨港鉄道の踏切より撮影)

 

 

小さな公園にて ― 桜咲く11000アクセス ―

 

f:id:martintan:20190401131715j:plain

 (住宅地の小さな公園に咲く桜)

 

「花冷え」

桜の開花宣言の後に気温が下がり始めた為だろうか

開花が広がる速度が遅い。

今年は、入学式に桜が七分咲きから満開という

状況が期待できそうだ。

 

そんな中、寒さをものともせず凛と咲く桜を

カメラに収めてみた。

 

 

さて、

今週、1万1千アクセスに到達。

ひと月のアクセス数が1000前後のペースになってきた。

訪問者の皆さんに感謝、感謝である。

 

行ってみたい場所

見てみたい景色が

まだまだたくさんある。

 

掲載し損ねている画像も幾つか残っている。

キーファーの「シベリアの王女」の紹介記事も掲載したい。

 

今後も、

焦ることなく楽しみながら

小さな旅を続けていきたい。

皆様にはご支援のほどよろしくお願い致します。

 

 

 

 

レールの行き先は?≪#25≫ 「謎多き路線」 ―分離してしまうのか ―

 

f:id:martintan:20190323201239j:plain

  (城北線を走る列車の車窓から撮影)

 

左のレールは下方向に、右のレールは上方向に

行先を違え、分かれていく

 

都市部を走る謎に包まれたローカル線

 

 

JR東海道本線枇杷島駅から中央線の勝川駅付近を結ぶ「城北線

建設したのは「鉄道建設公団(当時)」

所有するのは「東海旅客鉄道株式会社」

運営するのは「株式会社東海交通事業

 

なんてことを、管理人は全く知らなかった。

 

 

都市部にあって、

全線連続立体の高架橋で踏切は一か所も無く

全線複線でロングレールが敷設されていながら

 

電化されておらず

ワンマンの気動列車1両のみの運転で

交通系ICカードも使えない。

6駅全てが無人駅である。

枇杷島駅の先は東海道本線に接続しているが

勝川駅の先は高架部も線路も途切れていて全くの「終着駅」となっている。

 

 

名古屋からJR東海道本線の各駅停車に乗って

岐阜方面に向かうと、最初の駅が「枇杷島びわじま)」

この枇杷島城北線の起点となる。

 

城北線の総延長は11.2km

城北線の六つの駅は、

枇杷島びわじま)

尾張星の宮(おわりほしのみや)

小田井(おたい)

比良(ひら)

味美(あじよし)

勝川(かちがわ)。

 

この間に、

JR東海道線、(枇杷島駅

名鉄犬山線、(上小田井駅

名鉄小牧線、(味美駅)と交差し

JR中央線 (勝川駅)とも近接しているのだが

枇杷島駅を除き、雨に濡れずに乗換えできる駅は一つもない。

媚びるところが全く無い。

 

上の画像の上下に分かれた線路は

現実は、その先で元に戻り平行して走るようになる。

上下に分かれる理由がわからない。

 

 

f:id:martintan:20190401173742j:plain

  (外から見た終点「勝川駅」への階段。 無人駅なので改札口がない)
 

 

 

 謎解きの鍵は、複雑な権利関係とその当時の鉄道状況にあるようだ。

 

第一に、城北線の当初計画の目的は旅客輸送ではなく貨物輸送であったこと 

 

1962年(昭和37年)、貨物輸送を主たる目的として

国鉄岡多線(岡崎ー多治見)とともに

国鉄瀬戸線(瀬戸~高蔵寺、勝川~稲沢)が計画された。

1976年(昭和51年)、鉄道建設公団(当時)により勝川~稲沢間着工。

 

第二に、着工したものの、国鉄改革の影響で、国鉄としては完成・開通させることが出来なくなったこと。

 

岡多線は、国鉄ではなく愛知県を中心とする三セクの「愛知環状鉄道」を立ち上げ

岡崎~豊田~高蔵寺が1987年(昭和62年)に開通した。

一方、国鉄瀬戸線は勝川~小田井間と

連絡線である小田井~枇杷島の間が

完成間際の状態のまま凍結されていた。

 

第三に、国鉄民営化後、瀬戸線JR東海の所有となり、JR東海

鉄道建設公団の権利・義務を引き継いだ「鉄道建設・運輸施設整備支援機構」に

ひたすら建設費を分割で支払っていること。

 

そこで、負担している建設費の一部でも回収すべく

ミニマムコストでの運用を計画。

JR東海(株)の子会社である「株式会社東海交通事業」に第二種免許を取得させ

勝川~稲沢ではなく勝川~枇杷島間を旅客鉄道として開通したと思われる。

 

しかし、鉄道運輸機構への建設費延払い(賃料)が完了するまでは実質赤字続きだ。

 

延払い完了時期が近づくまでは、

中央線勝川駅接続のための高架部延長工事や

交差する他の路線の駅との接続工事や電化工事は、

赤字幅を拡大させるがゆえに実現困難だろう。

 

 

冒頭の写真は、勝川に向かう列車の後ろから枇杷島方向を写したものだが、

当初計画の稲沢に向かう本線と枇杷島に向かう連絡線の分離部が

こうした形で残っている。

左の線路が右の線路の下を通って稲沢に向かう計画だったというのが

左右の線路が上下に分かれている理由である。

現在は、その先で再び並行し枇杷島へと向かっている。

  

 

先ほど、城北線は全駅が無人駅と書いたが、

JR東海の幾つかの駅業務は「株式会社東海交通事業」が受託している。

枇杷島駅の改札業務は

東海交通事業の社員がJR東海の社員として行っているという

これまた複雑な形態になっているらしい。

 

 

最後に、1両単体で走るワンマンのディーゼル列車の画像を掲載します。

f:id:martintan:20190327225108j:plain

 

 (列車内の様子)

f:id:martintan:20190327234516j:plain

 

 

 

 城北線の歴史については、以下のサイトを参考にさせていただきました。

wv21.com

 

 

 

 

 

 

三大英傑 《#3》 ― 徳川家康 ―

第三弾、最後は徳川家康の「優先席では弱者に席を譲ろう」である。

「ゆずるなら 迷わずゆずろう 優先席」

f:id:martintan:20190319152545j:plain

 

後ろの掛け軸には

「ぜったゃあ ゆずったれ せんわ」という言葉があり

「でぇらぁ 若かったもんで かんわ」という家康の反省の言葉がある。

 

画面左手では「丸くなったねホトトギス」という言葉が書き添えられている。

 

「ぜったゃあ」は「絶対」、

「せんわ」は「しない」

「でぇらぁ」は「すごく」とか「大変」という意味であろうが、

「かんわ」はどう捉えたらいいのだろうか?

 

名古屋弁に詳しい方からのコメントをいただけるとありがたいですね。

 

名古屋市営地下鉄の三大英傑が登場する公共広告はいかがでしたか?

 

この徳川家康のケースで、

優先席はもちろん一般の席でも

お年寄りや弱者に席を譲った時に

相手から「いえ、大丈夫です」とか「結構です」と言われたり

極端なケースでは「年寄扱いするのか!」と言われたりすると

それ以降、席を譲ることを躊躇するようになる可能性がある。

 

上の「ぜったゃあ ゆずったれ せんわ」という気持ちは

そういう経験をした人に間々見られる。

 

座席に座っていて、弱者やお年寄りが近づいてきたら

「どうぞ」と言って立ち上がり

その結果がどうであれ、その席付近から遠ざかってしまえば

相手の対応を気にしなくても良くなる。

 

考え方ややり方はどうであれ

「弱者に譲る」という気持ちを

持つようにしたいと思う。

レールの行き先は? ≪#24≫「都会の秘境駅」 ― 全てはここから始まる ―

 

f:id:martintan:20190323213753j:plain

 (城北線勝川駅ホームから撮影)

 

画面奥に映る列車の向こう側に高架部はない。

全てはそこで終わり

全てはここから始まる。

 

 

 

 

 

 

 

花舞い  ― 舞い散る梅の花びら ―

桜の開花宣言が聞こえ始めた。

暖かい日が続けば、

今週末には桜の見頃が到来するかもしれない。

 

そして

2月末ないし3月上旬から咲き始めた梅は

満開の時期を過ぎ散り始めている。

「花舞い」

 

f:id:martintan:20190325114525j:plain

f:id:martintan:20190325114622j:plain

 (いなべ市農業公園梅林公園にて)

 

三大英傑 《#2》 ― 羽柴秀吉 ―

 

f:id:martintan:20190319132800j:plain

 

第二弾は、「歩きながらのスマートホンをなくそう」とするポスターで、

今回の主役は羽柴秀吉

 

秀吉が持つスマートホンで、

「ケキョケキョ」という着信音とともに、

茶々(淀君)からの着信という画面表示が出る。

横にいる正室の「北の政所」は「(着信は)誰からかなも?」と

秀吉に尋ねる。

秀吉は「ところかまわずはダチかんわぁ」という言葉とともに

困ったような嬉しそうな顔をする。

茶々(淀君)の悪戯っぽい顔つきも秀逸である。

 

この寸劇は

「歩きスマホをなくそう」というよりは「列車内では電源を切るかマナ―モードに」

という趣旨だろう。

 

「ダチかんわ」という名古屋弁は今ではほとんど死語になっていて、

50歳前後の人が「親の世代で使っていたような記憶がある」という程度だ。

ちなみに「ダメだよ」とか「役に立たない」という意味である。

北の政所の言葉の最後についている「なも」も

「上品な言葉遣い」だが今では殆ど使われない名古屋弁である。