新城と岡崎のミツマタ群生地を訪れた後に行った
カタクリは、平安時代以前には「堅香子(かたかご)」と呼ばれていたそうです。
湿地帯に群生し、水汲み場を彩ることが多かったかもしれません。
「もののふの 八十娘子(やそおとめ)らが 汲み乱ふ(くみまがふ)
寺井の上の 堅香子の花」 大友家持
大友家持が越中守として富山県高岡市伏木にあった国府に勤めていた時に読んだ和歌です。
今も、伏木の「勝興寺」の北西角地に「万葉寺井の跡」として残されているそうです。
カタクリの花は夜間や雨曇りの日には花弁を閉じてしまうそうですが、
この日は前日の雨も止み3月にしては暖かい陽光がさしていました。
多くの「八十娘子」も来ていました。
新城の見事な満開のミツマタに遭遇した興奮冷めやらず
岡崎のミツマタ群生地に続き、香嵐渓のカタクリ群生地も訪ねることにしました。
カタクリ開花に関する記事が出ていました。
「カタクリはスプリング・エフェメラル(早春の妖精)と呼ばれ、香嵐渓飯盛山の北西斜面に群生しています。」
令和5年は「3月8日に開花し、暖かな陽気で開花が進み、3月14日から見頃を迎え3月23日の強い雨により見頃を終えました。」
管理人が行動可能な週末に限定すれば、ピンポイントで訪れたことになります。
薄紫の花びらが多い中で
珍しい「白色のカタクリの花」
三月第三週の週末
と、欲張りなスケジュールで走り回りましたが
天候に恵まれ、予想以上の感動を味わうことが出来ました。