阿寺渓谷に残る#「阿寺軽便鉄道」(後の「野尻森林鉄道阿寺線」)の遺構をたどります。
阿寺渓谷の入り口に到着しました。
阿寺軽便鉄道は、阿寺川右岸(下の案内図で左側の「通行止め」となっているルート)を通っていたようです。
阿寺川左岸(上の地図で右側)の林道を登っていきます。
9月になって自動車進入禁止が解かれたので、時折り車が追い抜いていきます。
上路トラスの#「阿寺第一橋梁」が見えてきました。
10年ほど前には歩いて渡ることが出来たようですが、
現在は「通行止め」という看板とロープが貼ってあり
通ることが出来ません。
林道を登っていくと、#「樽ヶ沢滝」の真上に
#「樽ヶ沢橋梁」という緑色に塗られた橋が架かっています。
以前は、同じ場所に森林鉄道の「樽ヶ沢橋」が架かっていました。
鉄道や道路が普及する前の木材輸送は、「木曽式伐木運材法」と呼ばれる木曽川とその支川を利用した運搬方法でした。
チェーンソーなど無い時代、伐採は#「三ッ緒伐り(みつおぎり)」という
三方向から斧を入れて倒れる方向をコントロールする方法が採られていました。
現在でも、式年遷宮に使われる#「ご神木」の伐採の儀式で見ることが出来ます。
伐採された木材は、#「山落とし」という方法で、支川に集められます。
支川から木曽川までは#「小谷狩」という方法で運びます。
流量の少ない支川では、簡易の堰を作り、水と木材を貯めておいて
堰を決壊させ支川を一気に下らせます。
勇猛かつ危険と隣り合わせのやり方です。
「小谷狩り」で支川から木曽川まで運ばれた木材は#「大川狩り」という方法で
一本ずつ#「錦織網場」まで運んでいきます。
「木曽式伐木運材法」を分かりやすく説明したサイトを載せておきます。
興味をお持ちの方はご覧になってください。
https://www.rinya.maff.go.jp/chubu/kiso/morigatari/unzaihou.html
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9月は多くの方にご訪問いただき、ありがとうございました。
引き続き、阿寺ブルーの魅力をご紹介して参ります。