1350年ほど前の話です。
河内の国(今の堺市)で「行基」というお坊さんが生まれました。
迫害を跳ね除け、晩年には、
奈良「東大寺」の大仏製作のプロデューサーをされた方です。(諸説あります)
この当時、仏教を民衆に布教することが禁じられていたのですが、
橋や港など社会資本整備を進めながら
新しく寺を建て民衆に仏教を広めていきました。
その間、相当な迫害を受けていたそうです。
渡来した当初の仏教は天皇や貴族など一部の人のものだったようです。
仏教が本格的に民衆に広まるのは、「法然上人」の「浄土宗」以降になります。
愛知県瀬戸市においても
「行基菩薩は、この岩屋堂で薬師如来をはじめとする三体の仏像を作られた」
と書いてあります。
岩屋堂の左手奥に、以前にご紹介した「暁明ヶ滝」があります。