「蛭に注意」という看板をみるとかなりビビる。情けないほどビビる。
それは。。。
泉鏡花さんという作家をご存じだろうか?
遡ること147年前、1873年(明治6年)11月4日に金沢で生まれ
1939年9月7日に66歳で亡くなった特異な作風の作家である。
日本近代文学の幻想小説の原点に位置する方と言っても過言ではないと思います。
幽玄にして華麗。
代表作は『高野聖』
物語はこうして始まる。(注1)
「飛騨から信州へ越える深山の間道で、ちょうど立休らおうという一本の樹立も無い、右も左も山ばかりじゃ、手を伸ばすと達きそうな峰があると、その峰へ峰が乗り、巓が被さって、飛ぶ鳥も見えず、雲の形も見えぬ。」
そしてクライマックスが・・・これ。
声に出して読むと文章の美しさと恐ろしさがなお一層体感できると思います。
落語や講談に通じるものがあるような気がします。
「心細さは申すまでもなかったが、卑怯なようでも修行の積まぬ身には、こういう暗い処の方がかえって観念に便がよい。何しろ体が凌ぎよくなったために足の弱も忘れたので、道も大きに捗取って、まずこれで七分は森の中を越したろうと思う処で五六尺天窓の上らしかった樹の枝から、ぼたりと笠の上へ落ち留まったものがある。
鉛の錘かとおもう心持、何か木の実ででもあるかしらんと、二三度振ってみたが附着いていてそのままには取れないから、何心なく手をやって掴むと、滑らかに冷りと来た。
見ると海鼠を裂いたような目も口もない者じゃが、動物には違いない。不気味で投出そうとするとずるずると辷って指の尖へ吸ついてぶらりと下った、その放れた指の尖から真赤な美しい血が垂々と出たから、吃驚して目の下へ指をつけてじっと見ると、今折曲げた肱の処へつるりと垂懸っているのは同形をした、幅が五分、丈が三寸ばかりの山海鼠。
呆気に取られて見る見る内に、下の方から縮みながら、ぶくぶくと太って行くのは生血をしたたかに吸込むせいで、濁った黒い滑らかな肌に茶褐色の縞をもった、疣胡瓜のような血を取る動物、こいつは蛭じゃよ。
誰が目にも見違えるわけのものではないが、図抜て余り大きいからちょっとは気がつかぬであった、何の畠でも、どんな履歴のある沼でも、このくらいな蛭はあろうとは思われぬ。
肱をばさりと振ったけれども、よく喰込んだと見えてなかなか放れそうにしないから不気味ながら手で抓んで引切ると、ぷつりといってようよう取れる、しばらくも耐ったものではない、突然取って大地へ叩きつけると、これほどの奴等が何万となく巣をくって我ものにしていようという処、かねてその用意はしていると思われるばかり、日のあたらぬ森の中の土は柔い、潰れそうにもないのじゃ。
ともはや頸のあたりがむずむずして来た、平手で扱て見ると横撫に蛭の背をぬるぬるとすべるという、やあ、乳の下へ潜んで帯の間にも一疋、蒼くなってそッと見ると肩の上にも一筋。
思わず飛上って総身を震いながらこの大枝の下を一散にかけぬけて、走りながらまず心覚えの奴だけは夢中でもぎ取った。
何にしても恐しい今の枝には蛭が生っているのであろうとあまりの事に思って振返ると、見返った樹の何の枝か知らずやっぱり幾ツということもない蛭の皮じゃ。
これはと思う、右も、左も、前の枝も、何の事はないまるで充満。
私は思わず恐怖の声を立てて叫んだ、すると何と? この時は目に見えて、上からぼたりぼたりと真黒な痩せた筋の入った雨が体へ降かかって来たではないか。
草鞋を穿いた足の甲へも落ちた上へまた累り、並んだ傍へまた附着いて爪先も分らなくなった、そうして活きてると思うだけ脈を打って血を吸うような、思いなしか一ツ一ツ伸縮をするようなのを見るから気が遠くなって、その時不思議な考えが起きた。
この恐しい山蛭は神代の古からここに屯をしていて、人の来るのを待ちつけて、永い久しい間にどのくらい何斛かの血を吸うと、そこでこの虫の望が叶う、その時はありったけの蛭が残らず吸っただけの人間の血を吐出すと、それがために土がとけて山一ツ一面に血と泥との大沼にかわるであろう、それと同時にここに日の光を遮って昼もなお暗い大木が切々に一ツ一ツ蛭になってしまうのに相違ないと、いや、全くの事で。」
如何でしょうか?
管理人は
泉鏡花さんのこの文章を読んで以来、
「蛭に注意」という看板を見るとたちまち恐怖に苛まれます。
今回、幾つかの場所で
「ヒルに注意!」という看板が目に入ったので、
虫除けの薬をつけ、長袖のシャツの袖を下ろし、帽子をかぶり
ビビりながら歩いていました。
しかし結果は
蛭に出会うこともなく
安心して滝巡りをすることが出来た。
どうぞ
『横谷峡』の滝たちを見に行って下さい!
(注1) 文章は、青空文庫の『高野聖』からの抜粋です。