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まったり山散歩≪#5-3≫  曽良山の麓を通る「中馬街道」

曽良山を登り鶴岡山を下山し

目についたのが「中馬街道」という案内板。

 

街道と言えば、

東海道、中仙道などの五街道

名古屋では佐屋街道、津島街道、飯田街道などの街道名は耳にするが

「中馬街道」は初耳。

 

鶴岡山登山口(今回の下山場所)から日帰り温泉バーデンパークまで

中馬街道を通って戻れるようだ。

 

 

「中馬」と「伝馬」

 

「伝馬」は東京の小伝馬町、大伝馬町などで聞きなれた言葉だったが、それが何なのかは理解していなかった。

「中馬」に至っては初耳だった。

調べてみると、なかなか奥が深い。 

 

どれが中馬街道なのかについては諸説あるようだ。

伊那街道(飯田街道)が中馬街道という説もある。

   (本稿の最後の注を参照ください)

 

 

「伝馬」は、遥か律令時代から続く有力な陸上輸送システムで 

江戸時代になると、

定められた宿場町は徳川幕府の命令により

伝馬と呼ばれる馬を常備する義務を持たされ、

その替わりに税を免除されるという権利義務関係(システム)である。

 

ある宿場Aから次の宿場まではAの馬で運び、

次の宿場Bで荷物をBの馬に積替え、Aの馬は宿場Aに返される。

目的地までこの積替えを繰り返して運んでいた。

 

それに対し

伝馬は、宿場を通過して

同じ馬で目的地まで荷を運んでしまう。

数多くの馬を持つ信州だから可能なやり方である。

 

積替えが不要なので、

おそらく中馬の方が「速い、安い、荷が傷みにくい」

 

中馬が盛んになると、

宿場は宿代や輸送コスト(保有している馬の使用料収入が減り伝馬の継続が難しくなってくる。

宿場や伝馬の関係者は中馬を忌み嫌うようになり

宿場町から「中馬を規制してくれ」との訴えが増大する。 

 

それゆえ、

あまり整備されない仲間だけに伝わる隠された裏道が「中馬街道」として使われていたのではないかと想像する。

 

 

その風情がこちら。

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途中、白鳥神社に寄る

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いよいよ、「こんな道を重い荷を積んだ馬が通ったのか!」という「中馬街道」に入る

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 前回の掲載から随分と時間が経ってしまったので

以下に、関連記事リストを掲載しておきます。

 

martintan.hatenablog.com

 

 

martintan.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 (注)

  風景街道中部地方協議会 事務局
  (国土交通省 中部地方整備局 道路部計画調整課)

  が窓口となっている以下のサイトに、中馬街道が取り上げられている。

 それによれば、飯田街道(伊那街道)、現在の国道153号線豊田市足助から飯田方面への道を「中馬街道」となっている。

 

しかし、管理人的には

この記事で取り上げたいかにも裏道らしい土岐市を通る道が「中馬街道」と考えた方がいかにもそれらしく感じる。

サイトのアドレスは以下 ↓  の通り

https://www.cbr.mlit.go.jp/road/chubu-fukei/route/pdf/hukeikaido_chuubu.pdf