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表裏から見た「摩天楼」と数奇な運命の橋 ― 向野橋 ―

今や「摩天楼」という言葉は死語になってしまったのだろうか。

東京や大阪では摩天楼が点在しているのに対し

 名古屋の摩天楼は名古屋駅前に集中している。

 

どちらを表、どちらを裏と呼ぶかは

人によって違っていて当然だが、

ここでは摩天楼が建ち並ぶ側(栄に向かった桜通口)を表と呼ぶことにします。

しかしながら、八年後のリニア新幹線が開通する頃には

太閤口側にも新しい摩天楼が建ち並び

表裏を反対に呼ぶことになっているかもしれない。

 

「栄」は、名古屋駅の東側4kmほど離れたところに位置する。

以前は名古屋で最大の繁華街だった栄も、

名古屋駅前に摩天楼が建ち始めてからその地位を奪われた感がある。

今は巻き返しを着々と狙っているところだろう。

 

さて、その「栄」にある「愛知芸術文化センタービル」

11階に設置された展望回廊は、

遅い時間まで開放されており

名古屋駅の摩天楼達の表の顔を撮るにはなかなか優れた場所である。

 

 

《摩天楼の表の顔》 ― 東方から西方を見る ― 

  ↓ 薄暮の「栄オアシス21」「久屋大通公園の緑」と遠景の名古屋駅摩天楼

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 ↓ 大きな雲を背景にした名古屋駅摩天楼の一群

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《摩天楼の裏の顔》 ―西方から東方を見る―

別の日の早朝、夜明け前に駅裏から摩天楼を撮った。

 

 

  ↓ 名古屋高速臨海鉄道あおなみ線ささしまライブ駅連絡歩道橋」から見た摩天楼

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 ↓ 朝日に照らされた摩天楼

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 ↓ 土木遺産「向野橋」から撮影

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 ↓ 「向野橋」土木遺産認定の銘板

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「向野橋」の歴史は非常に興味深い。

第一に、明治生まれで年齢が112歳以上の長寿橋であること。

第二に、生れた場所がアメリカ合衆国であること。

第三に、最初は京都の保津川に架かっていた鉄道橋であること。

第四に、大きな事故に遭遇していること(撤去の原因の一つかもしれない)。

第五に、撤去された後、名古屋で数多くの線路を跨ぐ歩道橋(当初は道路橋)として再生されたこと。

最後に、橋梁としての本来の機能(河川や鉄道により分断された地点を結ぶ構造物)だけでなく、鉄道と摩天楼の撮影地としても活躍していること。

 

Wikiによると

向野橋は、1906年明治39年)に京都の保津川に架設された鉄道橋で、

1930年(昭和5年)に現在地に移設されたもの。

アメリカ合衆国で製作された橋で、当時は日本最長のアーチ橋であった。

昭和3年保津川橋が新橋に架け替えられ、旧橋は現在の地に移設され、名前を「向野橋」と変えて生まれ替った。

2016年に土木学会で土木遺産に選奨されている。

現在は、歩行者・自転車専用道となっているため、絶好の撮影地点になっている。

この日も通過する列車のビデオ撮影をしている方と遭遇した。

 

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  ↓ 夜明け前に待機する列車達と「向野橋」

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     (ささしまライブ駅連絡歩道橋から撮影)


《参考に》

京都府立京都学・歴彩館の「京の記憶」という資料集に、「保津峡下り」という表題の写真があり、明治時代の保津川橋の画像が残されている。

個別のリンクは出来ないようなので、京都府のホームページのリンクを貼っておきます。

www.pref.kyoto.jp

 

「向野橋」にその面影はきっちりと再生されている

 

 

 

 ↓ 「向野橋」が「保津峡橋」時代に遭遇した鉄道事故の記事はこちら

www.lib.kobe-u.ac.jp