菜の花が満開
蝋梅も見頃
先週に続き訪ねてみたが、
名古屋市農業センターのしだれ梅は
こんな風に咲き始めた枝はあるものの
全体としては、花も人もまだ人も疎らだった。
見頃は一週間ほど先になりそうだが、
その頃の農業センターは
花を愛でる人達で溢れかえっているそうだ。
それにしても
蕾レベルでも、開化時の見事さを予感させている。
一週間前の名古屋市農業センター記事
大高緑地公園は愛知県の施設で、敷地面積が広大である。
その面積は121.2ha
公園内を歩いて移動するのが大変なほど。
公園に到着して、出迎えてくれたのは透明人間。
寒空の下、裸に軍手と長靴のみという厳しい状況だったせいか、
動きを感じられず、一言も喋ってくれなかったのは残念だったが・・・
全体的に開花というにはまだ早い状態だが、
白鳥庭園や名古屋市農業センターに比べると開花はかなり進んでいる。
今日、明日にも、見頃時期に入るかもしれない。
↓ 紅白の梅
↓ 白梅 「白加賀」
↓ 桃梅
↓ 紅梅
↓ 同じ枝の花と蕾
↓ 竹林の小路を歩く
実は、白鳥庭園と同じく大高緑地公園にも雪吊りが設置されていた。
白鳥庭園と大高緑地の両方を訪ねてみて
梅林、竹林、雪吊り等々類似するものが設置されていて、
愛知県と名古屋市が心密かに張り合っているような気配を感じたのは
考えすぎだろうか・・・(白鳥庭園は名古屋市の施設、大高緑地は愛知県の施設)
↓ 大高緑地の公式ホームページはこちら
広大な敷地に様々な施設を有し、四季の花も楽しめる公園になっている。
子供連れで訪れるも良し、老後の散策で訪れるも良し
花や野鳥や竹林を楽しむも良し。
これからも、四季それぞれ旬の時期を見計らって訪れてみたい。
「松竹梅」で抜けている松を探すとすれば
旧東海道の松並木あたりが有望かな。。。
最後に、この日現れた「厚い雲の背後から伸びる陽の光」を
名古屋市農業センター(delaファーム)は「しだれ梅」が見事で有名だそうだ。
紹介記事によると、しだれ梅の本数は700本で全国でもトップクラス。
農業センターへのアクセスは
「地下鉄鶴舞線「平針」下車 徒歩20分または市バス「地下鉄原」行き、「農業センター北」下車、徒歩5分」
または
「地下鉄鶴舞線「赤池」下車 徒歩20分または名鉄バス「祐福寺」または「前後」行き「荒池」下車、徒歩6分」
と、比較的便利なロケーション。
名古屋市農業センターの案内については、この記事の最後に公式ホームページのリンクを貼っておきますのでご参照ください。
「梅まつり」の開催期間は、2月23日から3月17日までだが
近年の開花時期前倒し傾向を考慮して
覗きに行ってみた。
☟ 竹林と午後の太陽
☟ 膨らみ始めた「しだれ梅」の蕾
☟ 梅一輪
☟ 梅の木の下に咲いていた小さな水仙
☟ 極一部だが咲き始めた桃色の梅の花
☟ 蝋梅
☟ もうすぐ満月
☟ 着陸前の航空機
これで松が加われば、
松、竹、梅と揃うのだが。。。
☟ 名古屋市農業センターの公式ホームページ
白鳥庭園の正門を入り
道なりに左に曲がると、可憐な紫の水仙がひっそりと咲いていた。
休日というのに人が疎らというのは
開花した梅が少なく見頃の花が少ないからか。
↓ 築山から流れ出す川の滝
「水琴窟(すいきんくつ)」という雅で優雅な音を楽しむ楽器(「ポチョン」「ポコン」という音が聞こえる)
↓ 画面中央の縦に並ぶ三つの穴
↓ その穴に、この竹の先をあて反対側を耳に当てると水滴が滴る音が響く
↓ 東屋から眺める「雪吊り」
↓ 青空と雲を強調してみると
「名古屋の雪吊り」は雪が積もった日にでも撮影しないとしっくりこないなぁ・・
↓ 単なる「池」ではなく
伊勢湾に注ぎ込む木曽三川の木曽川・長良川・揖斐川を表しているとのこと
この辺り、幾つかの木橋が架かっており、いい感じになっている。
↓ 小振りながら「竹林の小路」も整備されている
見どころ満載の庭園で、年配者の入場料は100円。
「週に五日訪れる」という方がいるのも頷ける。
紅葉の時期のライトアップも綺麗だそうだ。
おはようございます。
今年最初の花画像は椿。
花を対象にするとブログのいろどりが一気に豊かになる。
前回花を掲載したのは、
昨年の9月末の彼岸花だったから、
4~5か月ぶりとなる。
↑ 「白鳥庭園」でひっそりと咲いていた「寒椿」
↑ 「乙女椿」をone colorで撮影
↑ 「茶器と楊枝」(茶器と楊枝にピントが合って和菓子がボケてしまった^^)
↑ 茶店の出窓に飾ってあった観葉植物
から歩いて10 分ほどの場所に位置する。
神宮西駅から白鳥庭園へ向かう途中、
江戸時代初期に名古屋城建築のための資材搬入ルートとして作られた「堀川」という運河を渡るのだが、
この堀川の河口が「東海道七里の渡し」になる。
七里の渡し(別名「宮の渡し」)はこの地図の下方、白鳥橋の下にある。
この地は、昔の「白鳥貯木場」という木場を埋め立てて作られているため面積が広い。
平成元年(1989年)に開催された「世界デザイン博覧会」のパビリオン「日本庭園」として作られたものを
整備しなおして「白鳥庭園」として開業した名古屋市の施設である。
木曽の御嶽山(おんたけさん)に見立てた築山
木曽川に見立てた滝や岩を配した水の流れ
公園のかなりの割合を占める池
平成10年から始めたという雪吊りに茶室
竹林の小路
等々盛り沢山の施設が配置されている。
当初、外国の方の目を対象に設計されているためか
「日本の典型」と「東海地方の地形」をあれこれ盛り込んだという感もある。
庭園の中でキヤノンのカメラを持った年配の男性と撮影話をする機会があった。
白鳥庭園から徒歩5分ほどのところに居を構え
週に5日、白鳥庭園にカメラ撮影に来ているとのこと。
L版にプリントしたお気に入りの写真をたくさん見せていただいた。
庭園に来る鳥たちを写した写真。
季節感あふれる雲を背景とした庭園の写真。
「80歳の手前」という年齢よりは遥かに若く見えるのは
好きな趣味を持ち、毎日広い庭園内を歩き回っているからか。。。
カメラを本格的に始めて2年ほどと言っていたが、
300mmの望遠を手持ちで
飛来する鳥たちを撮影するなど
なかなかの腕前と拝察する。
大人の入場料300円のところ(これでも安いが)
名古屋市在住で65歳以上の方の入場料は僅か100円となっている。
カメラやレンズや三脚等の機材の初期投資のみで満足できれば
真に立地条件に恵まれ、手軽で安価な老後の趣味と言えよう。
Happy St.Balentine's Day!!
そして、9000アクセス達成ありがとうございます。
バレンタインデイの日のブログの表題が「醸造」「ざる蕎麦」というのも何かの縁。
このブログの性格が表れているのかもしれません。
毎度のご挨拶・御礼になりますが、
本ブログを初めて訪問してくださる皆様、
繰り返し訪問してくださる皆様、
「スターマーク」ボタンを押してくださる方々、
コメントを書き入れてくれる皆様、
ありがとうございます。
ブログを開始してから15か月が経過しております。
継続は力なり。
こうして続けることができたのも皆さんのご支援のおかげだと
心より御礼申し上げます。
これからも
皆さんのブログに触発されつつ
小さな旅と
美しい風景に花と鉄道の写真と食と酒と
合間の温泉・銭湯を楽しみながら
続けて参ります。
よろしくお願い致します。
さて、
武豊町の鉄道用転車台を見に来て
その周辺に漂う醸造の香りを感じた。
この辺り、「味噌」「たまり」工場が並んでいるそうだ。
比較的小規模な製造工場と販売店が
細い道に沿って黒い壁を並べている。
側溝から立ち上る蒸気には仄かな香りがあり
道路には人影も少なく
シャッターチャンスに事欠かない。
香りをお届けできないのが残念だ。
話は飛ぶが、
武豊に来る途中、「手打ち蕎麦処『源平』」さんにて
遅めの昼食で「ざる蕎麦定食」を食べた。
寒い日ではあったが、ここ最近暫く蕎麦を食べておらず
身体が欲していたように思う。
ざる蕎麦といなり寿司の組み合わせで1000円ほど。
注文した品が出てきて、驚いた。
これだけの量を食べきれるだろうか・・・・
ざる蕎麦は一般的に、品がいいというか、量が少なめで
一半(1.5人前)を頼むかどうか悩むケースが多い。
定食に付随する「いなり寿司」も二つほどが一般的だ
と思う。
にもかかわらず、源平さんではこの量の蕎麦と三つのいなり寿司。。。
太っ腹な大サービスに驚いた!
そして、その後
ざる蕎麦を食べ始めて
現れたざる蕎麦のザルの形状に驚いた。
初めて目にする
「上げ底」ならぬ「笠底」
盛り方も見事。
適量の手打ちの蕎麦を美味しくいただいた。
をメインに紹介してきた知多半島シリーズは
ここらで一旦終了し、
次回から「花と庭園」記事に移ります。
MIZKAN MUSEUM で聞いた「江戸前握り寿司」の爆発的拡大と
酒粕酢の生産販売と輸送船の確保により
一気に発展し巨大な富を築いたこと
江戸時代の船主は、積み荷を買い取って運び
荷卸し先で高値で売れれば儲かるという仕組みだったこと
従って、売り手は
売れる商品を用意し、船主に利益が出る価格を提示できれば
次々と船をチャーターすることが出来たこと
自分自身が船主になれば、その利益も手にすることが出来るが
遭難・強奪・売れ残り等のリスクも負うことになる
江戸時代に人気だった半田の酒造りが
明治時代になって鉄道が普及したことにより輸送時間が短縮され、
次第に、ブランド力を持つ灘の酒に押され縮小していったこと
縮小する半田の酒蔵にあった樽などの設備が武豊に移転され
味噌・たまり醸造工場で再利用されたこと
半田・武豊を巡る過程で、とても興味深い話を知ることが出来た。
「レールの行先は? 《#17》 東京駅に匹敵する武豊駅」には
続き話がある。
1965年(昭和40年)以前は、
現在の武豊駅から先に線路が伸びていた。
それを物語っているのが下の地図に示した「旧国鉄武豊港駅 転車台」
1886年(明治19年)の武豊線開業時の武豊駅はこの転車台付近にあった。
駅は海に面していて、長さ140m幅5.5mの木製桟橋が設置されていた。
東京と大阪を結ぶ新線建設のための資材搬入の起点として整備・設置された。
半田から武豊にかけては埋立の歴史の積み重ねで、
当時の海岸線は遥か内陸部にあったことがうかがえる。
その後、旧武豊駅は「武豊港(たけとよみなと)駅」として機能した。
埼玉大学教育学部 社会講座 人文地理学 谷謙二研究室の手で作成された
「今昔マップ」を見てみると、当時の武豊線の終点と海岸線がよくわかる。
http://ktgis.net/kjmapw/index.html
修復された転車台は、このような形で 公園内に屋根付きで保存されている。
中に入って触れることは出来ない。
転車台は客車や貨物車をけん引する機関車の向きを180度変えるための設備で
一般的には線路が1条備わっているだけだが、
武豊に残る転車台は線路が直角に2条ついている珍しい形状の設備。
現在、こうして現物を見ることが出来るのは
「小学生5年生による遺跡発見」という功績の賜物だそうだ。
一般的な1条のレールの転車台として現存するものはないかと調べたところ
JR東海の名古屋車両区に使用可能な状態で残っていると聞いて、
早速撮影しに行った。
(環状線「黄金陸橋」の歩道部から撮影)
一昨年の2017年4月に
JR東海名古屋車両区で、「さわやかウォーキング」が開催され、
この転車台の上で方向を180度転換するというイベントがあった。
その後、日常的に使用されているかどうかは不明だが
この転車台はまだ使える状態で整備されているようだ。
↓ 2017年4月の「さわやかウォーキング」の紹介記事はこちら